| 佐藤オリエインタビュー『初の人情喜劇で勉強中です』、(昭和43年12月)※ここのみ資料集①と同じ。 |
<記事全文掲載>
『若者たち』『なかよし』などで熱っぽい演技を見せてくれた佐藤オリエさんが、今度はフジテレビ『男はつらいよ』で人情喜劇に取り組んでいます。
「前のドラマの時のようにファンレターは来ませんけど、 御祖母ちゃんだけは、
今度の役は おまえが綺麗に映るからテレビが楽しいって喜んでいるんです」
と苦笑いします。
このドラマは渥美清さんと長山藍子さんのコンビが中心。
無学だが御人好しで義理人情に篤く、妹思い男、車寅次郎と しっかり者の妹さくら の ちぐはぐな兄妹愛を描いたものです。
佐藤さんの役は寅次郎の恩師坪内散歩の娘冬子。
兄妹の愛情の行き違いを仲に立って優しく面倒をみます。
「渥美さんって大変喜劇に達者な人でしょう。 それに比べて私は、舞台でもテレビでも殆ど経験無いんです。
それに稽古も短いものですから、
なかなか渥美さん達に付いて行けなくて…。
でも見てくださる人達が、
ああ楽しかった、また明日からしっかりやろう
って気持ちになってくださるドラマになれば嬉しいですね」
セットは坪内家のお正月の茶の間の風景。
渥美さんがヒョイと口にする冗談に皆が笑います。 佐藤さんの表情も『若者たち』の時と うって変わって ゆるみっぱなし。
「このドラマでは、寅次郎を中心に多くの日本人が持っている良さや悪さがコミカルに出されていると思います。 それだけに冬子の役で、どんな所を、どんな風に面白く出せば良いのか、毎回勉強の連続です」 |
| 昭和44年1月、『男はつらいよ』視聴者からの投稿記事。 |
<記事全文掲載>
▼いっぷくの清涼剤
フジテレビ2日夜の『男はつらいよ』は初笑いした後に何となくしみじみとさせられるものでした。
寅次郎兄妹は、おじ夫婦、弟分の登と散歩先生のところへ年始に行きます。 渡世に身を置く寅次郎にとって正月の楽しい集まりはたまらないものでした。 社会的に宙ぶらりんな渡世人を主人公にしている点は現実味に欠けますが、寅次郎・さくらの兄妹愛や、それを取り巻く人々の豊かな情感がおりなす笑いは、虚無的な笑いの押し売りの多いこのごろのドラマの中で、一服の清涼剤になっているようです。 |
| 昭和44年1月2日~26日の間、船橋ヘルスセンターで森川信による『新春喜劇まつり』上演開始。 |
CMソングの女王・楠トシエが歌う♪『長生きチョンパ!』でお馴染み、船橋ヘルスセンターで『新春喜劇まつり』が始まる。
森川信、由利徹、桜京美、谷村昌彦ら豪華な顔ぶれが船橋に集う。しかも『初笑い・お婆ちゃんがんばる』は森川さんの演出作! |
◆上演期間:1969年1月2日~26日。◆開演:12時、2時30分。◆劇場:ヘルスセンター大劇場。
①『初笑い・お婆ちゃんがんばる』 (◆作:掟橋太郎。◆演出:森川信)。
②『グランドショー・にっぽんの幻想』 (◆構成・演出:土井丈二)。
◆主な出演者:森川信、由利徹、桜京美、谷村昌彦。
ヘルスセンター・ダンシングチーム、ヘルスセンター・音楽隊。
<特記・1>
かつて日本には浮谷東次郎という天才レーサーがいた。その彼がトヨタS800(通称・ヨタハチ)で伝説の大逆転劇をやってのけたレーシング・コース「船橋サーキット」。その跡地に出来たのが『船橋ヘルスセンター』だ。ここは賑やかな施設が多く、サーカスや歌謡ショーが頻繁に行なわれた。そのほか釣堀・ゴーカート・トランポリン広場も人気が高く、都心の遊園地に負けない設備が整っていた。国鉄船橋駅南口には送迎のマイクロバスが来ており、最盛期ではバスは一日中走ってるような状態だった。だが、ヘルスセンターの開発で多くの干潟が失われた為、地元住民の反発は大きかった。
<特記・2>
『ヘルスセンター大劇場』では様々な舞台公演が行なわれたが何といっても『8時だヨ!全員集合』の公開生放送での使用会場としても有名だ。また都心じゃないと観れない筈の『仮面ライダー・ショー』や『ムーミン・ショー』が開催されたこともある。その後、船橋ヘルスセンターは閉鎖したが『大劇場』は残された。跡地に登場した『ららぽーと』によって『ららぽーと劇場』の名で引き続き使われたのだ。 |
| 昭和44年1月4日よりNTV『日産スター劇場・たこたこあがれ』放送開始 |
※レギュラーは加藤、東野、珠のみ。毎週ゲストが登場して、主人公に絡んで行く。 第1回のゲストが渥美清と朝丘雪路。
<放送データ>
◆放送期間:1969年1月4日~2月1日。カラー。全5回。毎週土曜21:30~22:00.NTV。◆脚本:安倍徹郎。◆演出:池田善人。◆レギュラー出演者(役柄):加藤剛(山田誠)、東野英治郎(安西孝太郎)、珠めぐみ(安西真紀)。
<基本ストーリー>
極端な程に誠実で正直者で純粋で糞真面目な性格の植物学者・山田誠(加藤剛)は、世間知らずの男だ。その極端な性格が災いし、何処に勤めても長続きしない。山田の師・安西教授(東野英治郎)と、その娘・真紀(珠めぐみ)は山田を心配して、適職を捜しては世話をするが、どういう訳か様々な人間が関わって来て、珍騒動が起きてしまう。
<第1回・あらすじ>
マジメ人間・山田誠は、ニコヨン(日雇い労働)を始め、同じ二コヨンの甘利六平(渥美清)と知り合った。六平はコショウについての専門知識を持っている。たちまち2人は意気投合した。 数日後、恩師の安西教授の娘・真紀が商社マンの留守宅の管理人という願ってもない職を持って来た。誠は早速引っ越したが、そこへ六平が大変な話を持ち込んだ。アマゾンに行くので妻・天子(朝丘雪路)と子供3人を預かってくれと言うのだ。 |
| フジテレビ・チーフ・ディレクター五社英雄監督インタビュー。(昭和44年1月) |
<記事全文掲載>
欧米ではテレビ演出家出身の映画進出は既に古いが、日本では映画監督がテレビ映画を撮ることはあってもテレビから映画へ入るケースはまだ少ない。これは邦画界のビジョンの貧しさと、古めかしいナワ張り意識で、映画を立ち遅らせてきた原因に繋がる。
最近ようやく”共存”に目覚めて来た。日本初のパナビジョン方式70ミリ映画『御用金』(東宝・フジテレビ共同制作)をフジの五社英雄ディレクター(40)が監督するというのも象徴的だ。
五社監督は八日から青森県むつ市付近でロケに入ったが「映画は大作か異色作。テレビはその中間」と機能を規定して、映画に徹底した娯楽性を主張している。 |
-『三匹の侍』を松竹で映画化して以来7本目の劇映画になるが、初めての70ミリをどう生かすか。
「70ミリは海外輸出市場でのパスポートとする企業的要請だけで、映画づくりの上に違いは無いですよ。画面が鮮明になりドラマに質感が出る事にはなるでしょう」
-テレビ出身として今度の作品に表現したいものは?
「時代劇におけるドキュメンタリー性と言うのかな。物語の舞台である寒々とした北陸の風土感を、雪の下北半島で出してみようと思う」
-松竹、東映に次いで初めて東宝で撮る訳だが、やり難い事はないか。
「僕は何処へ行っても一人だが、現場は何処も同じで、仕事を通してすぐ仲良くなりますよ。テレビ出身者の問題点は、監督としてスタッフをまとめる力と、ビデオではなくフィルムに慣れる事です。テレビ映画をやってから劇場用を手掛けるとうまく行くんじゃないかな」
-映画界はテレビ出身者に何を期待しているのだろう。
「早かろう、安かろう、効率よかろう、という事だけかな。企業はそれしか追求していないし、僕もそれを承知で体制の中で効率の良いものを作る事を考えている」
-自己主張の為に独立プロでやってはどうか。
「常に金の問題がつきまとうから体制の中でやらなければ出来っこない。皆さん主張主張とおっしゃるが、映画人の特権意識を振り回し口数が多過ぎますね。映画を通して観客に訴えようなんておこがましくて仕方ない。理念を持ってる事は結構だが、じゃあお前、人間をどれだけ知ってるのか、と言いたいね。社会派を目指すと自分が出ちゃう。それが僕は怖い。映画とは片目の丹下左膳、腰を振るジョン・ウェインであって、娯楽以外の何者でも無い」
-テレビ出身監督の特性は?
「感覚的には体でテレビ時代の感触を知っている事。技術的には、テレビの現場で、ひとつの画面を沢山のカメラで追い、その映像を並べて同時にモニター・カメラで見て選択する作業を重ねているので、既に何百種の映像が頭の中に入っている事。これが効率に繋がる訳だ。この感覚と機能が、今年あたり映画のプラス・アルファとして出て来るんじゃないかな」
-テレビと映画の関係は?
「映画は大作か異色作で、上か、そうでなければ下しかない。テレビはその中間。中間はどう弄ってももうしようがない。今後ドラマとしてよりも報道の機能を発揮して行くでしょう。映画でどんなに素晴らしいドキュメンタリーを作ってもテレビに敵いっこないですよ」 |
| 長山藍子、『私のとっておきの企画~「沖縄・奄美が舞台、題名は内緒」 』(昭和44年1月) |
<記事全文掲載>
心の中では題名を決めていますが、今の所内緒にして置きます。
内容は、沖縄、奄美を舞台に、
若い男と女と逞しい愛の姿を描くものです。
それも愛だけではつまりません。
沖縄ならば戦後23年
いまだに占領下にあって苦しんでいる人達、
その中で厳しく現実に立ち向かう若者達である事。
見る人達が祖国復帰と言う事をジーンと胸の奥の事まで考えるものにしたいのです。
奄美の場合は一応復帰したものの、その生活の厳しさは大変だと聞いています。その厳しい暮らしを真正面から見据えて、愛し合い生き抜く逞しさを描ければと思うのです。
どこまでも青い海、白い波、明るい太陽、それをふんだんに生かしてうんとロマンチックにしたいのでカラーが良いですね。
兎に角 若者の、それも何者にもめげずに逞しく生きる姿を描いたものが、映画でもテレビでも余りにも少ない。
だから是非実現したいなあって思うのです。 |
| 昭和44年1月6日~31日、佐藤オリエ、市原悦子出演の俳優座定期公演『御意のままに』上演。 |
◆上演期間:1969年1月6日~1月31日。翻訳劇。全26回。◆作:L・ピランデルロ。◆翻訳・脚本:里居正美。◆演出:島田安行。◆劇場:(1月26日まで)俳優座劇場、(1月31日まで)都市センターホール。◆主な出演者:東山千栄子、岸輝子、村瀬幸子、松本克平、永井智雄、高山真樹、岡田裕介、木村俊恵、市原悦子。佐藤オリエ。
<特記>
当時78歳の東山千栄子(日本新劇俳優協会会長)が、昭和41年1月の『落葉日記』以来、3年振りに主演した寓話劇。昭和43年11月より稽古が開始された。
この公演には、新しい試みとして『公開舞台稽古』が行われた。 完成前に観客を入れることで、演出上でも演技の上でも反応が解るから公開したとのこと。 観る側としては、舞台作りを目の当たりにする絶好の機会になるし、何より無料なのが嬉しい。 但し、見学は学生限定。 原則として『俳優座劇場』で行われる定期公演の舞台初日の前日のみ。 チケットは周辺の大学や新宿の喫茶店に置くほか、電話受付でも入手出来たそうだ。 |
| 東野英治郎インタビュー『「創作劇だけに出演」東野英治郎の宣言』(昭和44年1月7日.毎日新聞・夕刊) |
<記事全文掲載>
俳優座の東野英治郎は
「ぼくは翻訳劇には魅力を感じない。こんご数年間は創作劇に限って出演する」
と、宣言した。 今年も俳優座は かなりの翻訳劇を上演するが、東野は希望して5月の田中千禾夫作、千田是也演出 『自由少年』 に出演を取り決めた。 昨秋、ソ連、ヨーロッパの演劇旅行から帰国し、創作劇上演に情熱を燃やす姿勢をハッキリさせた。 今年は いよいよ実践しようというわけである。 |
| (写真=最近の心境を語る東野英治郎<劇団俳優座で>) |
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70日間の演劇旅行で、約50本もの芝居をむさぼる様に見てまわったが、しみじみ日本人が外人に扮する不自然さを実感したと言う。
「僕の戦前からの演劇人生活を振り返ってみても、具体的なイメージが沸いて来るのは創作劇ばかりです。戦前なら 『土』 の勘次、『綴方教室』 の父・山五郎、戦後は 『教育』 の王、『黄色い波』 の杢郎次、『あらい・はくせき』 のはくせきと言った所です。これは どういう事なのかと、僕は改めて愕然としました」
今は、どんな芝居にもぶつかって行く精神の余裕は無いと言う。
1作、1作を大切にして質的な充実感に溢れた舞台を見せなくては… と言う訳だ。
だから 「柄に合わないのを承知で勇敢にいどんで失敗したら、折角長い間かかって築き上げた評価がガラガラと崩れる事になる」 わけである。
東野は演劇人として幾つかの危機にぶつかっている。 戦前はプロレタリア演劇運動が次第に地道な創作劇上演に転化していった時、戦後は俳優座が異質の作家、田中千禾夫、小山裕士らの創作劇と関係するようになった時期、何れも演劇法を再検討するハメになり、悪戦苦闘の末、それを乗り越えていったと言う。
「僕の為に思い出深い作品を書いて頂いた田中、小山という劇作家が円熟の境地に達しつつあるでしょう。お二人には これからもドンドン良いものを書いて欲しい。その点、僕は恵まれていると思っているのですよ」。
創作劇にしか出演しないと言う決意は堅いようだ。
が、翻訳劇には全く出演しないと言うのでも無いらしい。 真剣に考えているのは
「日本人に合う翻訳劇で、それも外国人としてで無くて日本人として演じる事が出来るようなものを」 と言う事だ。 どうしたらそれが可能になるのか、
目下は その演劇法を何度となく心の中で噛み締めている最中 と言う。
兎に角、今年は出演回数は少なくなるだろう。 しかし、
出来の良い創作劇が現れれば、主役、脇役を問わず、どんな無理をしてでも出演する覚悟だ、 と言う。 希少価値のある俳優… それが今後の東野のモットーになるのだろう。 |
| 昭和44年1月、『大きい目小さい目』視聴者からの投稿記事。(昭和44年1月19日) |
<記事全文掲載>
◆渥美大空の配役が成功◆
TBSテレビ月曜夜の『大きい目小さい目』。
渥美清と大空真弓のやりとりが面白い。
目の小さい小さい不器用な男の誠実さと、目の大きい器用な女の賢さとがからみあって、ポンポン早いセリフで展開していく。
脚本の良さもあろうが、大空の小賢さと、渥美のとぼけぶりを起用した配役の成功に拍手したい。 |
| 東野英治郎インタビュー『もう馬はこりごり』。(昭和44年1月20日) |
<記事全文掲載>
NETテレビ『風林火山』に、山本勘助役で出演の東野英治郎(写真)は武田信玄の軍師らしからず、馬に乗るのが大の苦手である。
「十年数前にありますかね。映画の撮影で落馬しちゃって、気を失って以来、馬は大嫌いになりました」
と言う事だが『風林火山』では、どうしても馬に乗らねばならず、しぶしぶ馬に乗った。
「はやく終わらないかと思っていたら、NGの連続で」
とぼやく事しきり。
「もう馬はごめんです」 |
| 森川信、江利チエミ主演の『花子ちゃん』に出演。 |
<放送データ>
◆放送期間:1968年12月2日~1969年2月1日。カラー。毎週月曜20:30~20:56.フジテレビ。◆脚本:岡本克己。◆演出:福中八朗。◆主な出演者(役柄):江利チエミ(小泉花子)、田崎潤(父・八郎)、風見章子(母・淳子)、山田吾一(兄・太郎)、伊藤栄子(太郎の妻・稀世子)、横井徹、永井智雄、花沢徳衛、矢野間啓治、阪脩、東光生、三田村元、臼閻香代、桜むつ子、 森川信(大下)。
<昭和44年1月20日(月)放送分・あらすじ>
相変わらず世話好きでオッチョコチョイの花子ちゃんが、太郎と稀世子の為にスイートホームを見つけ出して引越しさせた迄は良かったが、手違いからとんでもない事件に巻き込まれる。
ある日、稀世子に父親から小包が届いた。 中身はバターやチーズで、和風料理屋『いづみ』には無いものだった。 稀世子は迷惑がったが、花子は、これまで稀世子がこの家でうまくやって来たのは、それ相応の気を使っているからだと気がついた。 そこで花子は…。 |
| 星野哲郎インタビュー『「人生の応援歌」書きつづる』(昭和44年1月23日.サンケイ新聞・夕刊) |
<記事全文掲載>
流行歌の世界では、今年グループ・サウンズがすたれて、演歌が流行する-と予想する向きが多い。
そこでクローズアップされるのは、十二月にレコード大賞の作詞賞を受けた星野哲郎さん。
演歌調の作詞家として定評があり、北島三郎、水前寺清子らのヒット曲は、殆ど1人で手がけている。昨年、クラウン・レコードが発表した流行歌の3分の1は、星野さんの作詞だったが、今年はもっと忙しくなりそうだ。 |
(写真=「オレも男だ、マドロスだ!」と、
好きな言葉を言ってテレる星野さん |
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▼苦労を歌に反映~好きな文句『オレも男だ』
「歌謡曲の詞というのは、表現の仕方は様々でも、発想は単純なものですが、星野さんの詞は、発想に多様性がありますね。表現の勉強されているようです」と言うのは慶大文学部長の池田彌三郎さん。 『いっぽんどっこの唄』で水清寺が歌う『ボロは着てても心は錦…』という言葉を、近頃の若い学生は『ことわざ』だと思っているようだ。 「まあ、それだけ名文句なのでしょう」と池田さんはいう。
当の星野さんに「あなたの1番好きな『殺し文句』は?」と聞いたら-。
「最後に叩き出す言葉ですね…。『オレも男だ、マドロスだ!』と言うんですがね」
テレたように笑うが、目は 「おかしかアないでしょう」 と言ってる。
マドロスなどという、いささか古臭い言葉が出てくるのも道理、彼は清水高等商船学校機関科を昭和21年に卒業して、1年半ほど漁船に乗り組んでいた。 但し、機関部員じゃなくて『漁師』だったそうだ。
「中学校も商船学校も寄宿舎生活で、家の飯を食わない生活が長かったですね。船を降りたのは、腎臓を悪くした為で、6年間療養生活を続けました。母と祖母と3人、心細かったですよ。昭和27年にコロムビアで投稿詩が採用されて、今の仕事に入ったのですが…」
『若いうちだよ きたえておこう 今にお前の時代が来るぜ…』(「柔道一代」村田英雄)
『人に好かれて好い子になって、落ちて行くときゃ1人じゃないか』(「出世街道」畠山みどり)
といった歌詞の中に、苦闘時代に培われた彼の人生観が反映している。
星野さんの作品系列には『ヤクザもの』もある。
『親の血をひく兄弟よりも、堅いちぎりの義兄弟…』『俺の目を見ろ何も言うな、男同士の腹の底…』(「兄弟仁義」北島三郎)といった調子だ。
-ヤクザの世界について-。
「特に賛美するつもりはありません。単純だが『切ったはった』という緊迫した情景の中に『死』に直面した男の情念がある訳で、書きやすいという事でしょうね」
-義理と人情という言葉は?
「好きですね。古めかしくてヤクザっぽいけど…。『おのれを知るもののために死ぬ』という気分は好きですよ」
最新作は北島のために書かれた『仁義』。 『天に一つの陽があるように、この世に道義がなくてはならぬ、どんな立派な素ぶりより、ひとはこころだ、こころをすててどこへゆく』 と、大上段にふりかざした歌詞である。
最後に「好きな言葉をもう一つ」とたずねたら
「『 奮闘努力の甲斐もなく 』というのも好きですね」 と答えた。 ここからまた『オレも男だ、マドロスだ!』に戻るのだろう。
サラリーマンの酒席でも愛唱される星野さんの詞の『人気の秘密』は、どうやらこのへんにありそうだ。 |
| 渥美清インタビュー『好評こわもて渥美清~TVドラマ「男はつらいよ」』(昭和44年1月27日.朝日新聞) |
<記事全文掲載>
テレビドラマ「男はつらいよ」(フジ系、木曜夜10時)の渥美清が、この所ちょっとした評判だ。これまでの渥美の善良で弱気な男のイメージから、世の中を威勢の良いタンカをきって突っ走る男のイメージに脱皮して成功、と言うのである。
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(写真=台本を前にリハーサルに余念のない渥美清
<フジテレビのスタジオで> |
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▼人間的魅力で一線
「おめえ1人に苦労させちまったけど、これからはオレがついている。 オレがきっと幸せにしてやるからな」
叔父夫婦に育てられて一人前になった孤児(長山藍子)の所に、長い間行方不明だった兄・寅次郎(渥美)が突然舞い戻ってくる。 ダボシャツにニッカズボン、片手拝みも板についたやくざスタイルで、既に婚約者もいる妹の困惑を余所に、タタキ売りをやったり、ケンカをしたり。
昨年十月に始まったこのドラマは、東野英治郎、津坂匡章などワキの配役の良さも有るが、脚本の山田洋次(現在は監修)の話作りの旨さと、それをピタリと受け止めて生き生きと走り出した渥美の面白さで視聴者を捉えた。 それも、渥美自身や局には、これまでと違って、男性からの手紙や電話が圧倒的に多い。
「ホームドラマ、マイホーム主義への殴り込みですね。あのドラマが始まった時、やったーと思いました。あれこそ渥美ちゃんで無きゃ出来ないもの。彼の本領ですよ。下町の『人間』のリアリティが、あんなに出せる俳優ってそういない」
と言う永六輔氏は、渥美に長文の激励の手紙を書いた一人だ。
これまでテレビでは誰も手を付けなかった世界、滑稽で悲しくて、美しくて、見ていて興奮する。 が、ともするとやくざ、任侠(にんきょう)ものになりかねない危険な線。 それを救っているのは渥美の人間的魅力だろうと。
このドラマでは、渥美のアドリブ(台本に無い勝手なセリフ)が非常に多いのだそうだ。 周りが新劇畑で鍛えられた俳優達だからそれを上手く受け止めているが、
とにかく渥美の『乗り』ようは大変なもの、と制作スタッフも言う。
このアドリブについて、渥美自身は
「野蛮で、どっかはみ出しているあんな世界の男は、ついペラペラと余計な事言っちゃって自分のヘソを見せちゃうようなとこがあるでしょ。言葉が先走っちゃうような、そう思ってパッと口から出るままやってみるんです」
しかし、その為に彼はスタッフや作家と話し合い、役のイメージを深めるのに余念がない。
▼もっと伸び伸びと。
ところで、テキ屋あがりの寅次郎が、こんなにナマナマしい迫力があっては、マイホーム主義の茶の間では必ずしも歓迎されない所もあるのかもしれない。
「近頃このドラマが、はじめのような威勢の良さ、面白さが幾分うすめられて、並のドラマに近くなったような気がする。もしそれが制作者達に茶の間受けを意識し出した結果だとしたら残念なこと」 と永氏。
生温い善良なホームドラマが氾濫しているからこそ、この作品の意義もある。 渥美もせっかく本領と言うべき役に乗っている所だ、思うままに伸び伸びとやらせたいもの……と言うのである。 |
| 昭和44年1月30日よりNET『ゴールデン劇場・風林火山』開始。 |
◆放送期間:1969年1月30日~3月6日。全6回。毎週木曜22:00~23:00.NET。◆原作:井上靖。◆脚本:稲垣俊。◆演出:大村哲夫。◆レギュラー出演者:緒形拳、栗原小巻、東野英治郎。
<特記>
NET(現・テレビ朝日)開局10周年記念として制作されたドラマで、東野英治郎は、信玄の軍師・山本勘助役で出演。
東野は、自ら乗馬シーンをこなしたという。 |
| 昭和44年2月1日、NTV『日産スター劇場・たこたこあがれ』最終回。 |
<放送データ>
◆放送期間:1969年1月4日~2月1日。カラー。全5回。毎週土曜21:30~22:00.NTV。◆脚本:安倍徹郎。◆演出:池田善人。◆レギュラー出演者(役柄):加藤剛(山田誠)、東野英治郎(安西孝太郎)、珠めぐみ(安西真紀)。
<第5回・あらすじ>
ここは雪深い八ヶ岳山中。 山田誠(加藤剛)は別荘番をしていた。 彼は番人をしながら雪が植物に与える影響を調査していたのだ。 この人里離れた別荘へ上田(三波伸介)と大津安行(秋野太作)が現れた。 得体の知れぬ男だが世間知らずの山田誠は気にしない。 傷の手当てをしたり、自分の食べ物をわけてやったりと親身に面倒を見る。
そこへ恩師の娘・安西真紀が現れた。数ヶ月も音沙汰無しの山田を案じての事だ。 彼女が言うには2人組の宝石強盗が八ヶ岳方面へ逃走、町は大騒ぎとの事。どうも上田と大津が犯人らしい。さすがの山田誠も青くなってきた。 そして山田誠と真紀は、めでたく結ばれたのだった。 |
| 昭和44年2月1日より、長山藍子・寺田路恵 出演の映画『橋のない川・第1部』公開。 |
◆公開日:1969年2月1日。◆製作:ほるぷ映画。◆制作:今井正・内山義重。◆原作:住井すゑ。◆脚本:八木保太郎。◆音楽:。◆監督:今井正。◆主な出演者:北林谷栄。長山藍子。寺田路恵。小沢昭一。伊藤雄一郎。
<特記・1>
長山藍子は「畑中ふで」役で、寺田路恵は教師「柏木はつ」役で出演。
<特記・2>
『橋のない川』は、昭和43年に公開されて大ヒットになった映画版『若者たち』と同じく、配給会社を通さずに自主上映された。
『若者たち』での成功によって、独立プロダクションによる映画が、映画会社の配給ルートを使わなくても興行として成立することを実証した。
会場になった読売ホールでは、2月1日の初日の観客動員数が3700人。
翌2日の日曜日には5339人と記録されている。
<今井正監督のコメント>
「自主上映組織発展の1つの捨石になればと願っていたが、この分だと4000万円の制作費を回収して、第2部を製作する見通しがついた」
(写真=読売ホールでの行列) |
| 長山藍子インタビュー『「橋のない川」と私~長山藍子さんに聞く』 (昭和44年2月) |
<記事全文掲載>
| 未開放部落の差別と貧困に悩み、怒り、しかし決して屈する事無く戦い続けて行く誠太郎と幸二の2人の兄弟愛を描いた映画『橋のない川』は、全国の人々の心をうち、各地で公開されています。この映画で2人の母、畑中ふでを演じた長山藍子さんの、農家の嫁の性格を見事に捉えた演技は観客に深い印象を残しています。そこで、長山さんに忙しい時間を割いて貰って『橋のない川』出演の感想などを聞いてみました。 |
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茶色のベレーに黒いカーディガン、茶色のスカートという品の良い好み。
見るからに明るく活発な感じの長山さんは記者の質問に大きな目をくりくりさせながらきびきびと答えてくれました。
長山さんが『橋のない川』の原作(住井すゑ著)を読んだのは、5年前の俳優養成所に通っている頃。
その時の新鮮な感動は、今でも忘れられないとの事。
「特に、畑中ぬい、ふで、柏木先生などは、それぞれ女性として深く考えさせられた人物像でした。
長い間私の頭から離れなかった名前です。
その時は映画化されるなんて考えてもみなかったんです。 その私が畑中ふでを演じるなんて……」
思いもかけなかっただけに感激したと言います。
「でもね、激しく積極的にドラマを動かして行くような役ではなく、影のような静かな存在でいながら、それでいて重い比重を占めている畑中ふでと私を繋ぐ『橋』をどうかけるか……役作りには随分苦労しました」
今でも全国に6000部落、300万の人達に対して現存している就職、教育、結婚などでの厳しい差別。
その現実に長山さんは深くうたれたと言う事です。
それを長山さんは
「部落の人達と実際に話合ったりする中で、常に社会意識を持ち差別にめげず逞しく戦っている事を知りました。
私自身いろんな事を勉強出来たと思っています。 全てわかったとは思いませんが、許せない差別の現実を少しでも理解出来た事は本当に良かった」 と、控え目に話します。
京都・亀岡。 畑の中の貧弱なスタジオでの四ヶ月余りの合宿生活。 長山さんは、それを楽しい生活だったと回想します。
夏、稲の穂波が青々と広がり、やがて初秋の風が重く垂れた黄金の稲穂をゆすります。肌寒さを感じる頃には稲刈り、
季節感豊かなロケ地は、長山さんばかりでなくスタッフ、キャスト皆に思い出深かった事でしょう。
スタッフの人達の作品に対する情熱や執着、本当の映画とは何か、想像して行く事の楽しさとはこういうものかと身に染みて感じたと言います。
撮影も終わりに近づいた昨年12月、長山さんは『橋のない川』の合間をぬって『ペール・ギュント』(新人会・青年座・俳優小劇場合同公演)に出演しました。 初日、東京・都市センターホールに届けられた『「橋のない川」スタッフ一同』と書かれた大きな花輪を目にした時、長山さんは思わず涙ぐみました。 それ程、この合宿生活の印象が深かったと、今も懐かしそうに話すのです。
「私の演技は別として、ほんとに素晴らしい映画が出来たと誇りを持っています。 多くの人に、日本中の人に観ていただきたいんです。 この差別に反対しようと訴えたいのです。 続編もきっと感動的なものになると思います」
長山さんの表情は畑中ふで役に悔いなく うち込んだ後の満足感に満ちていました。 |
| テレビ映画は『戦国時代』~やりくりの中小プロ。「全盛」とは うらはらに。(昭和44年2月2日) |
<記事全文掲載>
テレビはフィルム番組全盛時代をむかえようとしている。 各局のスタジオ・ドラマの枠は減る一方で、この四月の編成がえでも、この傾向は一層強まりそう。
スタジオ・ドラマに代わって進出したのがテレビ映画なのだが、その殆どはテレビ局の直接製作ではなく、各プロダクションへの『外注』作品だ。
数多くのプロダクションが入り乱れるテレビ映画戦国時代をのぞいてみると。
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| <写真左=4月からスタートする東映テレビ部制作の『日本任侠伝・第1部』(三國連太郎)> |
<写真中央=民芸プロで製作中の『黒部の太陽』
(吉田日出子、吉田憲二監督、寺田農)> |
<写真右=CAL製作の『意地悪ばあさん』
(古今亭忘ん馬、大沢昇)> |
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▼ドラマは縮小一方
例えば、かつて『ドラマのTBS』といわれたTBSテレビの場合。
今ある1時間もの5本、30分もの4本(夜間)のスタジオ・ドラマが、4月からそれぞれ3本になる。
『こんにちはそよ風さん』 『七人の刑事』(月曜)と 『娘すし屋繁盛記』(金曜)の3本の枠が消え、いずれもテレビ映画になる予定だ。
金曜午後8時からの大阪朝日放送製作のドラマ枠も、今年から新たに金曜ナイターがとって代わる。
日本テレビでは 『スター劇場』 が4月1週からとりあえずワンクール(13本)初のテレビ映画として製作される事になった。
NETは現状維持。 3月に新スタジオが完成するフジテレビで、逆に4月からスタジオ・ドラマが1本増えるのは例外的と言って良いだろう。 各局の映画部は、足並み揃えて外部発注の体制を整えつつある。
▼局側の人手不足で
何故、外注による国産テレビ映画が増えるのだろうか。
ご多分にもれず、ここでも労働問題がここでも大きな原因。
昨年末のTBS争議で表面に出たが、各局ともいま製作部員、技術部員の労働体制が限度ギリギリにきているという。
1か月の超過勤務が百時間を越えるのも珍しくなく、甚だしい例では、180時間という局員(これが本当なら、いつ眠るのかという説もあるが)もある局にはいるそうだ。
TBSの第二演出部長は
「これまでテレビ・ドラマが多過ぎた。 本格的なカラー化に備え、製作能力が適正かどうか検討した結果、労務的にも1時間ものが5本では多過ぎるので整理した訳です。 演出部としては、ドラマ枠が少なくなる事は寂しいが、止むを得ないと思う」
と語っている。
▼倒産や製作中止も
こうした局側の事情からやってきたテレビ映画時代を、各プロダクションはどう受け止めているだろうか。
いま国産テレビ映画を製作しているのは、劇場映画製作を本業としている各社のテレビ部(メージャーと呼ばれる)とその傘下のプロダクション、それに純粋の独立プロの三つに分けられる。
メージャー系列下のプロとしては、松竹系の歌舞伎プロ、東宝系のテアトル・プロ、エコーなどがあり、他にメージャー系だが独自の活動をしているのが国際放映。
独立プロとしては、日本テレビ『意地悪ばあさん』を放映中で、かつて『お庭番』『風来坊』などのヒットを飛ばしたCAL、『みつめいたり』『秋篠の女』『クレオくん』などの栄プロ、『芸者っ子』『下町っ子』などのメロドラマに強みをみせる日産プロ、劇団民芸をバックにした民芸プロに加えて、三船プロもニューフェースとして数えられる。
三船敏郎の出演中止などで話題の『黒部の太陽』は民芸プロの製作だ。
ところが、この他にも沢山あった独立プロの幾つかが、このテレビ映画全盛期に、かえって製作を中止したりつぶれたり、という奇妙な現象も起きているのである。
▼質の低下が心配 「たたき売り同然」 とプロ側
テレビ局の外注が増えるとは言ってもその注文は中小プロには なかなか まわってこない。
どうしてもメージャーや、その系列会社に取られてしまう。
もう1つの理由は、カラー化で製作経費はどんどん上がっているのに、各テレビ局の電波料値上げのアオリで、スポンサー製作費を引き締めがち。
かつてヒット作を出した栄プロでも、今は東京・祖師谷大蔵の2つのスタジオを遊ばせておくのは勿体無いと、各テレビ局へ必死の売り込みを続けているのが現状だ。
「野菜のたたき売りのようなもの」(栄プロ・松浦社長)
とか、
「スーパーマーケットのように安売り競争になる危険がある。 全盛というかけ声におぼれて、かえってプロダクション経営は苦しくなっている」(CAL・青柳社長)
という声も出て来る。
名門でさえこんな現状だから、中小プロはもっと深刻。
とにかく注文をとらなければ経営が成り立たない訳だから、安い製作費、厳しい製作条件も承知で請け負わなければならない。
しかも、まれにしか注文が来ないのでは、技術的に質の低下が危ぶまれるのはもっともな事だ。
「人件費はこのところ30%かた上がった。 それだけでも大変ですね」(東宝・大木テレビ部長)
と言うように今カメラマン1日当たりのギャラは3万円くらい、ライトだけでも最低4人はいる。 中小プロの場合だと更にロケ・バスやセットの借用料、録音スタジオ料などが嵩むから、1時間もの400万円弱というテレビ映画製作費では利益は非常に少ない事になる。
「ムダと思っても、自前で撮影機材やスタジオを購入しておくのはその為なんですが」(エコー・寺本社長)
と言うのもこの為だ。
▼今は生き残る戦い
視聴率という大問題に直面しなければならないテレビ局側が、外注に慎重になるのは当然の事だろう。
日本テレビの阿木制作本部長は
「出来た映画を持って来てくれれば1番良い訳だが、時間的に余裕が無く、企画書だけ見て決める現状では、どうしても実績のある所のものを採用する事になる」
と中小プロが入り込む余地が無くなった事を認めている。
多くの面で、各プロダクションの内情は苦しい。
しかし、こうした製作費や企画力を含めたカベを乗り越えて作り続け、やがて来るであろう本当のテレビ映画全盛時代まで、生き残らなければ ならない訳だ。
阿木氏は、次のように言っている
「スタジオ製作ものではキメ細かく、日本情緒豊かなものが作れる。 フィルムでは、アクションをはじめ舞台の広いテンポの速いものが作れる。今後は、ドラマをじっくり見たい人の為に夜遅い時間にドラマを、ゴールデン・タイムには映画を。 という事になるんじゃないでしょうか」 |
| 昭和44年2月3日~25日、日生・俳優座提携第6回公演『ギャング=アルトゥロ・ウイ』上演。 |
<記事全文掲載>
| 日生劇場・俳優座提携第六回公演として二月三日から二十五日迄上演されるブレヒトの『ギャング=アルトゥロ・ウイ』の稽古が追い込みに入っている。 この公演では、このところ映画ですっかり有名になってしまった田中邦衛の初主演、千田是也の演出など話題が多いが、その田中は、俳優たちが流感に次々罹るのに、ただ一人頑張り 「風邪の菌もよけて通る」 と言うほどのハッスルぶりだ。 |
| <写真= 『ギャング=アルトゥロ・ウイ』稽古から大熱演を見せる田中邦衛=東京・赤坂の国際芸能家センターで> |
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▼長せりふにも懸命~千田演出にしごかれて
ブレヒトのこの作品は第二次大戦中、亡命先フィンランドで書かれ、作者の死後、ベルリーナ・アンサンブルが初演、好評を得たもの。 ギャングであるアルトゥロ・ウイが次第に勢力が増していくさまを描いているが、表面はヤクザの世界を軽妙に描いているようで、本質的にはヒットラーの台頭を痛烈に批判している作品といわれる。
長谷川四郎の訳は、こうした内容をふまえて徹底的に軽演劇風にセリフをくだいており、今日的な流行語やヤクザな言葉がポンポンと飛び出す。
千田是也は
「この作品は田中邦衛君以外には考えられなかった。役づくりでは相当しごいたが、良くやっていますよ。それにしても長谷川さんの訳は面白い。こちらもそのようにお願いしたわけだが、ナニワ節調、古典調、演歌調、現代スラングなどゴチャマゼで放り込んである。表面の笑いの影に、作者の冷徹な眼がある事を出せれば成功だが……」 と語っている。
一方、舞台では初主役に大緊張の田中は
「映画もテレビも全部お断りして、この舞台にかけてます。毎日稽古開始の1時間前には来てセリフを頭の中で反スウしているんですが、とにかく数は多いし、一つ一つが長いんで大変です」 と言っていた。
舞台上には、サーカス小屋が再現されるが、このセットに朝倉摂が大いに凝った為、組み上げに時間がかかり、このため日生劇場は昼間の貸し出しが出来なくなり痛しかゆしの表情。
他の出演は永田靖、三島雅夫、稲葉義男、中谷一郎、袋正、加藤剛、横内正、中村たつ、河内桃子ら。 |
| 2月5日放送、『人に歴史あり~千田是也・新劇史とともに』に東野英治郎が出演。 |
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▼新劇の歴史と共に歩む千田是也
◇人に歴史あり(東京12チャンネル 後9:00)「千田是也・新劇史とともに」。
今回のゲストは俳優座の千田是也。
千田が新劇の世界に足を踏み入れたのは四十五年前。 築地小劇場を振り出しに誕生間もない新劇の歴史と共にしてきた。
番組では滝田修、杉村春子、東山千栄子、東野英治郎、岸輝子らに仲代達矢、安部公房らをゲストに招き、築地小劇場から俳優座誕生に到る迄の舞台人千田是也の歩みを豊富なエピソードとともにたどっていく。 |
| 撮影は順調 70ミリの『御用金』 ~迫力出す雄大な背景。(昭和44年2月6日.読売新聞・夕刊) |
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日本で初めてのパナビジョン70ミリ映画『御用金』が、1月8日から極寒の青森県下北半島でロケ撮影を行っている。
途中で三船敏郎の出演辞退、中村錦之助の代役という思わぬ事件が起こったが、それ以来
「スタッフの空気が引締まったのも事実」(五社英雄監督)。
撮影そのものは快調に続いている。 |
| <写真=下北のロケで(左から)仲代達矢、五社監督、丹波哲郎> |
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▼仲代との議論から?
三船の出演辞退は胃潰瘍が理由となっているが、実は仲代達矢と議論した為だ、といわれている。 その点について仲代は
「確かに議論はしました。
僕にとって小林正樹さんという監督が絶対の存在であるように、三船さんにとっては黒澤さんがそうだと思うんですが、三船さん自身はそんな風に考えては おられないらしい。
そんな事を酒をのみながら話したんですが、
まさかそんな議論が原因で辞められた訳ではないでしょう。
僕としては、ただ病気全快を祈るだけです」
と言うが、その口調に時々皮肉なものが混じるのは止むを得ない所だろう。
この議論とは別に、三船は 「三流スタッフだ」 と放言?したともいう。
この映画はフジテレビと東京映画の共同製作だが、五社監督以外は正規の東京映画のスタッフだ。
「東京映画では殆ど時代劇は作ってないので、初めは もたついた事もあったが、それを口に出すというのはねえ」
と言うのは五社監督。
「それより僕が言いたいのは、三船さんが何の断りも無く東京へ帰ってしまった事です。病気が治ったら、この点について現場の責任者である僕に、はっきり釈明して頂きたいと思っています」
(この無断帰京については、三船は4日 「いろんな人がいる前で、帰る!と大声で言って帰った」 と はっきり否定した)
ロケ隊は、下北半島の中央部にあるむつ市に基地を置き、東北端に近い尻労(しちかり)海岸などを背景にとり入れて撮影中だ。
マイナス18度、
「僕の髭からツララが下がるんですよ」(仲代)
という寒さに襲われたが
「この下北の雄大な風土は、70ミリの大画面で素晴らしい効果を発揮している。演出家としては、この背景にドラマが食われないよう、うまくとけこませたいと願っている」
と五社監督。
▼パナビジョンの効果
パナビジョンというのは、アメリカのパナビジョン社が開発したシステムの総称で、この『御用金』に使われているパナビジョン70は、普通の35ミリカメラに同社が設計した主レンズとわい曲レンズ(シネスコ撮影に使うレンズ)を取り付けて撮影し、これをプリントの段階で70ミリに拡大する。
ネガ・フィルムは35ミリだから一見無理なやり方だか、実はそうではない。 岡部宏三カメラマンによると、レンズの解消度が優れ、素晴らしく鮮明に映る。
その為、普通なら代役で済む撮影も本人でなければならなくなり、カメラから遠く離れた砂浜を浅丘ルリ子が200メートルも走らされた、
仲代も 「演技そのものは変わらないがメーキャップに神経を使う」 そうだ。
▼自然が作品に厚味を
しかも本体は普通のカメラだから機動力は失われず、手持ち撮影も出来る。 特に天候がネコの目のように変わる下北半島では、即応性が不可欠の条件だ。
ラスト・シーンの撮影中に 「アメリカ映画ならヘリコプター15、6機を使って起こしそうな」(岡崎カメラマン)
物凄い風が吹いて来たので、この好機を逃さずにカメラに収めた。
「こうしたものが、金では求められない厚味を出している」 と五社監督は言う。
「金と企画の問題はあるが、パナビジョンは日本映画にとっても理想のシステムだと思う。 いま世界で広く使われているのも当然だと痛感したが、こういう会社がどのようにして発展していったのかという事に興味がある。 現像のときにアメリカに行ったら、そういう事も調べてみたい。 日本の光学工業も世界的なんですからね」 と、研究熱心で有名な岡崎カメラマンは語っている。 |
| アダ名も「お父さん」重鎮・東野英治郎~いまや新劇のエース。(昭和44年2月6日) |
<記事全文掲載>
昨年の俳優座劇場定期公演『あらい・はくせき』で紀伊国屋演劇賞を受けた東野英治郎が、NETテレビ『風林火山』の山本勘助にふんして受賞後の初仕事に気を吐いている。 「久々に重量感のあるドラマ」(木下恵介監督)「私がイメージに置いて書いた勘助にピッタリ」(原作者・井上靖氏)と評判も上々。「ボツボツ気に入った役を選んで、それを大切にしていきたい」と言う東野とその周辺をクローズアップする。
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< 写真= 親子二代の俳優一家。
「タレント・ママを見るのほど嫌いなものはない」
と言う東野は息子の孝彦に関して
「仕事の事で文句を言った事などない」
「それだけに先輩としてのおとうさんを意識しています」 と孝彦 (六本木の喫茶店で) > |
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▼質の高さ認められ喜び
38年間の俳優生活を通じて賞をもらったのは今度が初めて。
-『あらいはくせき』における円熟した演技に対して- というのが受賞理由。
「勲章をもらってハッスルするようなトシじゃない。しかしね、客は入らなかったが、質の高さを認めてもらったのは嬉しかったね」
この東野を演劇評論家の尾崎宏次さんは
「人間的な重みが演技を通じて こっちに伝わってくる人だ。
民芸の滝沢修と今の演劇を代表する俳優」
と見ている。 『重鎮』という形容がピッタリだ。
若い時に悩んだニキビが、月面写真のクレーターのように陥没を留める顔。 むしろブ男の部類に入るが、何とも親しみ深い暖かさがある。 俳優座の若い人たちは『おとうさん』と呼んで東野を慕う。
喫茶店に入る。 「オーイ、コーヒー二つ!」。 客が振り向く程デカい声だ。こっちが入れるまで砂糖ツボに手を出さない。
「どうぞ、どうぞ」と勧めて、自分はまだ砂糖の入ってないコーヒーを一口すすってニッコリ。
コント55号の坂上二郎より、もうひとまわりチッコイ目だ。 『重鎮』のイメージが持つ高邁さや近寄りがたさはこれっぽっちもない。
▼私はいつも一人だった
「38年間を振り返るとアッという間に過ぎたみたいだ。 苦しい事ばかりで、楽しかった事なんて無かったなあ」 と言う。
昭和6年、築地小劇場プロレタリア演劇研究所に入った。 その時、試験管の薄田研二が
「キミ、ゲキケン(演劇研究会の略)を知ってるか」と言ったのに、「ゲキケン(撃剣)なら自信があります」 と答えて軽蔑された。
メーキャップに使うドーランも知らなかった。 故郷の上州ではドーランと言えばタバコ入れだと言う。
「東京っ子は私が一言はなす内に二言も三言も喋る。第一に困ったのは会話だった。私は背が低い。仲間と一緒に歩いていると、自然と私が遅れる。足が短いからだ。だから、いつも私はポツンと一人だった」 と東野は自著の『私の俳優修業』の中で言っている。
地方ナマリ、容貌、体格。 どれをとっても人より一歩遅れをとっていた東野は、40年近い年月をかけて、『マイナス』を『プラス』に変えた。
「才能があるとか素質があると自惚れた事もない。 自分というものを試して生きただけのようだ。 可能性を確かめようとし、自分が何であるのかを見極めようとした事なのかも知れない」
と現在の心境を語る。
▼マージャン勝てません
そんな父親を、一人息子の孝彦(26)は 「父として、また先輩として文句無く尊敬しています」 と言う。
そして 「僕が俳優座に入って俳優になろうと思ったのもオヤジに影響されました」。
孝彦が養成所の試験を受けた日、東野は試験管の席にいた。 が、オヤジは息子の番が来ると席を外して外に出て、やたらにタバコをふかした。
東野には趣味らしい趣味は無い。 実家は作り酒屋だがアルコールにも弱い。 もっとも、釣り、テニス、ゴルフ、スキー、スケート、カメラと、一通りはかじったが 「みんなモノにならなかった」 と言う。
俳優座創立以来の仲間の三島雅夫は
「あの人はそういう事はからっきしダメだなあ。 やっぱりお芝居しかない人ですよ。 一口で言えば努力の人ですね」 と評する。
マージャンをやろうと誘われると喜んでついて行くが、勝った事がないのでも有名だ。 六十二歳。 |
| 『10年の念願』実現。豪快な立ち回りに若さ。~評判上々テレビの勘助。(昭和44年2月6日) |
| <写真A=映画に対抗『風林火山』~「映画の『風林火山』は見ないよ」と自信にあふれた東野英治郎の録画風景(NET第6スタジオ)> |
| <写真B= チッコイが年輪を重ねた目の演技が光る。こったメーキャップだが、僅か10分でやってのける> |
| <写真C= 東野『勘助』はタバコ好き。スタジオの中でも公認で、ハイライトを根元まで吸う> |
| <写真D= 密かに由布姫への無償の愛を貫く山本勘助の悲哀をにじます東野英治郎の表情> |
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<記事全文掲載>
▼本気に打たれ感じが……
「アラ、東野さんが泣いている」 と化粧係の女性が思わず声を上げた。
『風林火山』最終回を録画中のNET第六スタジオ。
山本勘助の東野が、川中島への出陣を前に由布姫の栗原小巻から別れのサカズキをいただくシーンだ。
凱旋のない戦いを予感した勘助が、密かに慕っていた姫を前に万感迫る思いを酒と共に飲み下す。
そこで、片目の東野はテレビでもはっきりわかる涙をにじませた。
こんなこともあった。 第1回の録画のとき、由布姫が父を謀殺した勘助の顔を能面で打ちすえる場面があった。 つい真剣になった栗原が、本気になって力をふるった為、東野は翌日まで痛みがとれず困った。
が、東野は 「感じが出てたよ」 と栗原に言ったきり、自宅で湿布を当てた事はついに語らなかった。
兎に角、東野の勘助にかける意気込みは凄い。
「十年前にこの原作を読んだ時からいつかオレがやると狙っていたんだ。 40年近く、常に自分でない人間に化けていたが、本当にやってみたいという役は、そうないものだよ」 と言う。
▼メーキャップは10分間
見るからに醜悪で獰猛な印象を与えるメーキャップは、僅か10分で作り上げてしまう。 NHKテレビ『天と地と』に出ている滝沢修が、30種類近くもあるドーランを持ち込んでタップリ1時間かけてメーキャップするのと対照的だ。 しかし、東野独特の工夫がされている。 注意して見れば、これから回を追って、勘助の頭髪と口髭が徐々に白さを増していくが、これは東野のアイディア。 最後には口髭が1本残らず純白になる。
殺陣の場面をつけているのは『007は二度死ぬ』の殺陣師・加賀麟太郎氏だが
「東野さんに関しては私は必要ないくらいです。ツボにはまった乱闘の出来る人ですね。それに体が柔らかですね」 と驚いている。
普通、カメ・リハ、ランスルー、本番の三段階で録画されるが、東野の場合はランスルーが省略された。 このシーンは群集が入り込む為、スタジオ・カメラのかわりに6キロの重さがあるハンディー・カメラを人が担いで東野の動きを追ったが
「5キロもあるヨロイを着てよくあんなに暴れられる。親子ほど年が違うのにこっちがバテました」 と言っている。
大村ディレクターは
「戦国の時代劇は所詮ダイナミックな画面を作れる映画には敵いません。それでテレビでは東野さんを中心にした人間ドラマに焦点をしぼりましたが、勘助の重量感は流石ですね」 と狙いがあたった口ぶり。
第一回目が放送された夜、東野宅に木下恵介監督が電話をかけてきて 「久しぶりにテレビドラマを楽しみました」 と言った。
その時の視聴率は15・4%。 「スタジオドラマが圧迫されて行く現在、この高さはいい刺激になる筈」 と広報部では言っている。 |
| ラジオ・ドラマの灯を消すな ~各局担当者が 『会』 組織。(昭和44年2月12日.読売新聞・夕刊) |
<記事全文掲載>
音楽、トーク、聴取者交流、それにニュースなどが現在のラジオ番組の全てと言って良いだろう。
10数年前、『君の名は』で風呂屋をガラ空きにさせた事もあるラジオ・ドラマは、今は、在るか無いかの存在になってしまった。 聴取者が欲しがらず民放の場合スポンサーがつかないから、といわれる。 だが、偶々聴くラジオ・ドラマの、映像には無い新鮮な感動を訴えてくる聴取者が、あとを絶たないのも事実だ。 こうした矢先、もう1度ラジオ・ドラマを考え直そうという目的で、各局の関係者が『ラジオ・ドラマの会』を組織した。 |
<写真左= 「夢よもう1度」と真剣な討論、
研究する『ラジオ・ドラマの会』> |
<写真右= ニッポン放送唯一のドラマ
『アッちゃん』 の出演者たち> |
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「ラジオ・ドラマの灯を消すな」 の旗印で集う 『ラジオ・ドラマの会』 は、昨年、12月にスタート、毎月1回LF(ニッポン放送)QR(文化)TBS(東京)NHKの何処かの一室で、演出、調整、効果など(各局4人程)の担当者が集まり、作品批評や今後のドラマのあり方などを討論している。
既に全国高校、大学の放送研究会との結びつき、ドラマ雑誌の発行などがプランとして上がっている。
▼無限の可能性を表現
メンバーの1人、QR制作部員はこう言う
「ラジオで 『絶世の美女』 『ヤナギ腹』 などと言う台詞や語りがあったとする。 これを聴く側は色々なイメージの基に自分なりの美人像を組み立てる。 この想像のふくらみがラジオの特色で、生身の人間が出てくるテレビよりはるかに楽しいものなのだ」
つまり、より自由な無限の可能性を表現出来るのが、ラジオ・ドラマの特性だと力説する。
そんなドラマが何故衰退してしまったのか。
「あかりを消して聴いて下さい」
という有名な言葉は、大正14年NHKが初めてラジオ・ドラマを放送した時のキャッチ・フレーズだった。
戦後 『鐘の鳴る丘』 や 『えり子とともに』 などの名作を出したラジオ・ドラマは、民放スタートと共に全盛期を迎えた。
LFを例にとると、昭和32年1月には連日放送する 『サザエさん』 『アッちゃん』 『御用聞き物語』 『哀愁の園』 などの帯ドラマが、日に14本もあった。
以後35年13本、36年11本、37年7本、44年の現在では 『アッちゃん』 1本だけ。
▼衰退の悪条件重なる
放送劇 『シルバー・グレイの空間』 の芸術祭賞をはじめ、数々の賞を受けたLFの制作部副部長は言う
「脚本、配役、音楽、効果など、まず費用がかかり過ぎる。 俳優もテレビのようにいきなり新人起用という訳には行かず、台詞だけで表現出来るベテランが必要。 作者は、ラジオ・ドラマだけ書いていては生活出来ない。 こうした条件が重なって、ラジオ・ドラマが衰えてしまった。 一方、民放ではスポンサーが、理由は全くわからないが、極端に嫌がる。今LFで僅かに残るラジオ劇場(日曜夜9:00)は、スポンサー無しの自主制作です」
▼朝から晩まで音楽
テレビよりラジオを愛好する作家、俳優も少なくない。
その1人、小沢昭一のラジオ談義
「ラジオ・ドラマは必ず復活しますよ。 私はその日の為にノドを鍛えているんですがね。 今はテレビ全盛時代。 へそ曲りの私は、多少の判官びいきもありますが、ラジオが好きです。 現代は、何でも目で見なきゃ満足出来ない。 耳を傾けて聴くラジオも、朝から晩まで音楽ばかりやっている。 これじゃ人間の情操に大切な聴覚が退化しちまいます」
小沢に言わせると、ラジオ・ドラマの独立プロをつくって、良い作品をどしどし局へ売り込みたい程だと言う。
比較的ドラマ部門では恵まれているNHKの担当者たちは
「ドラマの聴取率は、だいたい0.1%。 約3万人の人が聞いてくれる訳だ。 この人たちの為に絶対ドラマを作り続ける」 と言っている。 |
| 棟方志功インタビュー『広大無辺の世界~仕事は生れるもの』。(昭和44年2月13日.サンケイ新聞・夕刊) |
鎌倉のここ雑華(ざっけ)山房に移って2年になります。あっち(東京・杉並区の家)にいったりこっちに来たりしてますが、仕事はここでやる事が多いですね。
雑華というのは華厳(けごん)という意味ですよ。
『雑華の國』という本を戦前、東大寺で出してましたが、私はそれ程気張ってつけた訳ではありません。
が、私は野菊が好きでしてね。風に吹かれても踏まれても美しい花を咲かせる野菊が大好きで、それで雑華とつけたんですよ。
また私は『華厳譜』という作品で世に出させて貰いましたから、これも偶然の一致ですね。
はじめ私は帝展に油絵を出してましたが、入ったり落ちたり、自分では特選をとるつもりなのに落ちた方が多くて、どうしたのかと思いましたね。
その当時、梅原(龍三郎)さん、安井(曾太郎)さんという偉い人は、フランスに行って勉強された人だから、そんなら日本の魂といわれている板画で身を立てようと思って、どうせ板画家になるんなら世界一の板画家になろうと思ったんですよ。
板画を彫りだしたのは24の秋からで、板画は独学でやったんです。
もっともこんな思い出はあります。 それは川上澄生という人の『はつなつの風』という作品を国画会で見ましてね、これには驚きました。
これこそ日本の板画だと思いました。 川上さんと私は人間は違うが、こういう魂をわかしたり、あふれさせたりして行こうと思いましたね。
それで国画会に板画を出すようになったんです。 はじめ七点持っていって七点入選しました。
昭和6年でしたか『星座の花嫁』という板画家集を出しました。 そのころ国画会の板画の会員というと、平塚(運一)さんと川上さんと私ぐらいのものでしたね。
あとから恩地(孝四郎)さんとか、ブブノワさんたちが入りました。 その後、昭和13年に国展が帝展に参加した事があって『善知鳥(うとう)』という作品を出品して特選になりました。
これで自分の仕事が世の中に認められたと思いました。 その頃から宗教的なものが私の板画に入ってきたと思います。
板画というものは、私は広さだと思います。 流行の言葉でいえばスケールだと思いますね。 深さも必要かも知れないが、柵と密度の世界だと思いますね。
油絵でも日本画でも、密度や深さもあるでしょうが、板画の広さとかスケールの大きさということは広大無辺であり、普遍的なものでありますよ。
仏教の言葉で、あまねくにおよぼすということですよね。 私が板画というのは、板の生命を彫り起こして板から生れるものが板画だと思っているからです。
ところで板ですが、ベニヤの榀(しな)を使ってます。 前は始めに紙に絵をかいて、それを裏がえしに板にはって彫ってましたが、今は板に直接に墨をつけます。 ですから右も左もなく、なるがままに彫って行きます。 いい作品をつくるとか、そんな事は思わないでやってますよ。
私は仕事というものは自分から生まれるものではなくて、私の仕事のささえているのは結局、あらゆるものが寄ってたかって私を助けているのだと思います。 つくるとかいうのではなくて、生まれてくるんだという気がします。
彫刀ですが、全然選びません。 小学生が使うようなものでやってます。 ただ大きいものは別ですね。 結局は何というのですか、気ばらないで仕事をするという事ですね。
それに私は字をよく板画に入れますが、私にとっては絵と字は同じなんですよ。 絵では収まらない場所があるんですよ。 それに字を入れるとよく収まるんです。
その字も歌も、何も偉い人のものでなくていいんですよ。 いろはでもアイウエオでもいいんです。 景色でも人物でも字でも何でも同じなんです。
今年は9月に大きな個展を開きます。 それに3月から万国博の大作をやります。 忙しいですよ。 |
| 前途多難のスタジオ・ドラマ。(昭和44年2月) |
<記事全文掲載>
TBSテレビの 『七人の刑事』 打ち切り発表以来、スタジオ・ドラマのあり方、将来に関する論議が盛んである。
TBSでは、労働問題からみで、五本のスタジオ・ドラマを三本へ減らし、最終的には 『日曜劇場』 『きんきらきん』 の枠2本にしぼるらしい。
その他、NHKを除く民放各局とも、スタジオ製作のドラマが減る傾向は争えない。
その理由の1つは、ドラマ製作における労働問題である。
ストライキ等の場合、外注の映画なら損害をうけないし、日頃も残業、人員等、とかくトラブルの起りやすいのがスタジオ製作ドラマなのだ。
しかも、外注映画の方が、スタジオ製作に比べて、安上がりだという所に大きな問題がある。
もう1つは、視聴率が絡んでいる。
現在、ビデオリサーチの調査では『ドラマのTBS』といわれる6チャンネルだけ見ても、ベストテンの中に、スタジオ・ドラマは1つも入ってない。
全部、映画の他はクイズ、歌もの、プロレス等によって占められている。
お芝居の客が、映画の客に比べて少ないように、テレビでも、ドラマ好きの客は映画の客より少ない訳だ。
一方、作る方の側をみると、外注映画を作っている映画各社のスタッフは『商売』に徹しているが、放送局のドラマ・プロデューサー、ディレクターの中には『芸術家』が多いらしい。
その上、スタジオ・ドラマは とかくスター中心になるが、どうしても企画がスターの希望やコノミに左右され、柄に合わない文芸物などに落ち込む危険も見られる。
とにかく前途多難は多難である。 |
| 森川信インタビュー『先生稼業にやりがい~手とり足とり温情校長』。(昭和44年2月18日) |
<記事全文掲載>
国電信濃町駅前の千田谷会堂内の『森川信芸能学校』へ森川校長を訪ねたら、ちょうど殺陣の授業中。
約30人の生徒の動きをジッと見守り、時折り例のしわがれ声で 「そうじゃないだろ」
「剣はそこで止める……」
と手とり足とりのコーチ。
「演技の基本も知らないタレントがテレビ、舞台に横行しているのを見かねて」
一昨年4月に開校した。
本科、専科に分かれ、演技、殺陣、日舞、洋舞、発声などの科目があり、舞台俳優の養成が主目的である。
学校経営は大赤字だそうだが、その原因は
「教室の家賃が月7万かかるのに月謝(4千円)の滞納者が多くてね」
ということ。
現在50ヶ月分くらいポケットマネーから出しているそうだ。
「生徒が苦労していると思うと強く催促出来なくてね。出世払いですよ」
と舞台を地で行く人情校長ぶり。 |
| 山本直純インタビュー『「女房のヤキモチが心配」浅丘ルリ子の恋人?になる山本直純氏』。 |
<記事全文掲載>
踊る指揮者やCMなどでおなじみの作曲家・山本直純氏がドラマにも顔を出す。
27日放送のTBSテレビ『守ルモ攻メルモ』で浅丘ルリ子の架空の恋人という役。
住人追い出しのため浅丘が苦肉の策に彼を利用する話だが、このドラマの作曲を担当している同氏はディレクターの交渉に二つ返事でOK。
その出来が一度だけでは勿体無いと再度登場させる事に迄なったというから、ここでもオールマイティーを発揮。
同氏は余裕たっぷりの演技だったが
「浅丘さんとのラブ・シーンの事はあまり宣伝しないでくださいよ。女房がヤキモチをやくもんで……」
同氏にも泣き所があったわけだ。
<『守ルモ攻メルモ』「嘘」。昭和44年2月27日(木)放送分・あらすじ>
7人の敵を追い出し切れない汀子は、いささかヒステリックだった。
自分よりも大きなバス・チューバを吹き鳴らして住人の眠りを妨げ、オトウサンに注意されると、パリからフィアンセが帰ってくるなどと、全くありもしない嘘をついてしまう。
その夜、偽のフィアンセ捜しに乗り出した汀子は、病院アパートに来たのが初めてというマッサージ師(山本直純)を口説き落とし、翌日、七人と対決することになった。対決の最中にムッシュウという男が、汀子のフィアンセだと言って現れた。
※主な出演(役柄):浅丘ルリ子(汀子)、山本直純(マッサージ師)、
細川ちか子(オトウサン)、大久保正信(ムッシュウ)、高橋悦史(イソーロー)、堺正章、園井啓介。 |
| 小沢栄太郎インタビュー『俳優座脱退を語る小沢栄太郎』。(昭和44年2月28日.朝日新聞・夕刊) |
| 『男はつらいよ』をはじめ、数多くのテレビドラマや映画へ役者を提供している劇団 『俳優座』。 その創立メンバーの一人である小沢栄太郎氏が同劇団を脱退した。 提出した長文の退団理由書は 「小沢声明」 と呼ばれた。 |
<記事全文掲載>
昭和19年の創立以来25年間、劇団俳優座と苦楽を共にして来た小沢栄太郎が、27日夜の劇団総会で突然退団届けを提出した。
この3月末には60歳の誕生日を迎えるこのベテラン俳優が、なぜ今フリーになる事を決意したのか、本人に退団の経緯と心境を聞いてみた。 |
| (写真= 「うらみ、後悔は全くない」 と話す小沢栄太郎) |
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400字詰原稿用紙36枚にボールペンでびっしり書かれた退団理由書を手にしている。
27日の劇団総会で読み上げたものだ。 小沢はこれを、総会前の3日間に書いたと言う。 自分の分身とも言うべき劇団を飛出した割には、その表情はカラッとして、明るい。
「辞める事を考え始めたのは3年くらい前でしたか。
本当に俳優座の為を思って、その根本的な体質改善を叫んだのに、
全然受け入れられなかったからです。
しかも一番残念だったのは、
僕の主張が、劇団の主導権を握ろうとする動きと誤解された事でした」
「問題は実に多い。 例えば劇団は本来、芸術団体でなければならない。
何よりもまず役者が上手くなり、お客が入り、演劇収入が増える事が基本でなければならない。 それが現在では生活共同体と化している。
どんなに芸が拙くても、役が回って来て生活が出来る。一種の終身雇用制だ。
当然、俳優はサラリーマン化し、役作りが安易になる。
だから僕は、今の俳優座は 『俳優不在座』 であり、 『演出座』 だと言うんです。
そういう意味では3年前、劇団員の上級教育の場として、
今のオンボロ稽古場の改築案を出すと共に、
一種の 『少数精鋭主義』 を主張したんだが、残念ながら分かって貰えなかった」
「テレビなど外部の仕事と本来の舞台活動の関係についても、おかしい事が多い。
今の俳優座は 『趣味的予算膨張主義』 とでも言うか、
必要以上に公演予算にお金をかける。
それで舞台が面白くなるかというと全然そうではなく、客の入りは悪く、赤字を出す。
その赤字を埋める為にテレビ出演などに頼るから、劇団の稽古が益々疎かになり、舞台が更につまらなくなる。
完全な悪循環。
今度、日生劇場で上演した 『ギャング=アルトゥロ・ウイ』 もその一例です。
今やらなければならないのは 実力のある俳優を使って、良い舞台、お客が入る舞台をやり、それによって演劇収入を増やし、マスコミ収入を押える事。
これを 『善循環』 と言うのです。
今の俳優座では、 『儲ける』 と言う言葉は下品で、口にしてはならないとされている。
余りにも不健康な姿じゃないですか」
「俳優座の唱える芸術運動にも疑問があります。 お客を集める能力も無く、努力をせず、大衆に浸透もせずにいて、何がプロパガンダですか。 大衆を啓蒙するなんて思い上がった事を考えているから、お客を笑わせる事さえ出来ないんだ」
「でも、この25年間、僕は出来る限りの事はしたつもりです。 その点では、俳優座に対するうらみ、後悔と言ったものは全くありません」
「これからですか。 当分フリーで行くつもりですが、小沢プロダクションを作ってみたいという気持ちもあります。
劇団を作るつもりはありませんね。 やりたい者が集まって、良い芝居をやり、終わったら解散する- そんな自由な形でやってみたい。
え、不安ですか。 そりゃ、生れて初めて一人になるんだから……。
でも東山千栄子さんのような方もおられる。 東山さんに比べれば、僕もまだ若い。 60歳から新しく人生をスタートさせるつもりですよ」
なおフリーになってからの仕事としては、4月の帝劇公演 『ラ・マンチャの男』、7月の日生劇場公演 『さよなら、チャーリー』 への出演が既に決まっている。 |
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| 『千田是也氏、俳優座を語る~契約制、はっきり反対』。 (昭和44年3月4日.朝日新聞) |
<記事全文掲載>
先月27日、小沢栄太郎が俳優座に出した長文の退団理由書は、単に幹部団員の進退と言う事以上に、今日に置ける芸術運動のあり方、劇団制、テレビなど外部出演依存など、新劇界の現状についての重要な問題提起として波紋を投げた。
劇団リーダーの千田是也はこれをどう受け取っているのだろうか。
定期公演稽古の合間に、その意見を聞いてみた。
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| (写真=「 『精鋭主義』 を名目にした劇団合理化には反対」 と語る千田是也 <東京・六本木の俳優座で>) |
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▼一緒にやっていきたい
「27日の総会は、僕は偶々風邪をひいていて、欠席したんです。でもその後、小沢君の退団理由書全文を読みましたし、
劇団としては、小沢君の意見をどう考えるべきか、
真剣に話合っているところです。
僕としては小沢君は劇団創立者の一人だし、25年間一緒にやって来た仲間なのだから、やはりこれからも一緒にやって行きたい。
俳優座は多面的な劇団だし、世帯も大きいのだから、
小沢君の意見や演出を入れる余地は十分ある筈です」
▼新劇運動の生活共同体
「小沢君の批判の中心点は、本来、芸術団体であるべき劇団が生活共同体化していると言う事のようです。
しかし、このように2つをわける事自体がおかしいのです。
劇団は あくまでも新劇運動をする為に生れた組織であり、その為の生活共同体なのです。
決して ただ食う為だけなら、もっと便利な形がある訳ですから。
月給制などの福祉制度で、劇団内に幾分 安定ムードがあるのは事実だが、だからと言って、 小沢君の言うような契約制や自由競争、あるいは 『精鋭主義』 の名の下に合理化や首切りをする事には、僕はハッキリ反対です。
長年一緒に運動をやって来た同士達を劇団で使い道が少なくなったからと言って切る事は出来ないし、第一、僕等が劇団員を雇用している訳ではない。
契約制やプロデューサーシステムは演出家にとって便利なシステムであり、その都合の良さだけが強調されているような気がする」
▼新劇のわかる層広げる
「もっとお客の入る、儲かる芝居をやって演劇収入を増やせ、と言う批判についても反論したい。 観客と言っても、やはり解る層と解らない層があるわけで、新劇運動の目的の1つは、この解る層をひろげて行く事でしょう。 その意味で、この作品だけは公演費用が嵩んでも、どうしてもやらなければならない場合と言うのがある。 二月に東京・日生劇場で上演したブレヒト作 『ギャング=アルトゥロ・ウイ』 にしても、一般に名作路線と言われる あの大劇場に割って入って、初めてブレヒト作品をやったという効果を忘れてはならない筈です」
「客の入る、収入の上がる芝居だってやっていますよ。 去年全国を巡演したイブセン作 『人形の家』 はその一例です。 しかし、演劇収入を増やす為につまらない芝居をやっては仕方無い訳で、極端に言えば、その分をテレビなど外部出演で一晩で稼いで来る方が合理的な場合もある」
▼ヤング・パワーに期待
「経営的にも、ここ2、3年少しずつ良くなって来ています。 決して小沢君の言う程ピンチでは無いですよ。 それに劇団内にはヤング・パワーが台頭し、俳優も演出家の層も若返って来ている。 俳優座の将来を担うのは、こうした若い人達だから期待出来る。 この人達に積極的に考え、発言して貰い、俳優座のこれからを決めて行きたいと思いますね」
そして小沢声明については、
重要な問題を多く含んでいるので、劇団内は勿論、公開討論の形でも討議して実りあるものにしたい、 と強調した。 |
| 昭和44年3月2日より、新宿コマスタジアムで森川信・佐山俊二出演『恒例・喜劇人まつり』上演。 |
◆上演期間:1969年3月2日~30日。◆劇場:新宿コマ・スタジアム。
①『グランド・ショウ 春のコマパレード』 (◆構成・演出:土井丈児。◆演出・振付:関矢幸雄。中野章三)。
②『花の新宿3代・へそまがり繁盛記』 (◆原案:相良準三。◆脚本・演出:掟橋太郎。◆演出:谷口守男)。
◆主な出演者:
榎本健一。森川信。佐山俊二。柳家金語楼。由利徹。茶川一郎。旭輝子。桜京美。新山トリロー・ノリロー。中野ブラザース。志摩あい。 |
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| 井川比佐志・佐山俊二、 江利チエミ主演の『花子ちゃん』に出演。 |
<放送データ>
◆放送期間:1968年12月2日~1969年2月1日。毎週月曜20:30~20:56.フジテレビ。◆脚本:服部佳。◆演出:。
◆主な出演者(役柄):江利チエミ(小泉花子)、田崎潤(父・八郎)、風見章子(母・淳子)、山田吾一(兄・太郎)、伊藤栄子(太郎の妻・稀世子)、月岡夢路、加藤泰、宇佐美淳也、
佐山俊二、井川比佐志(小松大作)。
<昭和44年3月3日(月)放送分・あらすじ>
日曜日のある朝、花子(江利チエミ)は休日を床の中でむさぼり続けていると突然もの凄い音。
実は最近8階建てのマンションが近くに出来る事になり、その工事によるものだった。
そこで直談判あるのみと花子は率先して工事現場の事務所に乗り込み、陳情する。
ところがその現場監督というのが昨夜、女子大の同窓会の打ち合わせに行ったとき
突然踊りを申し込まれ、花子をボーッとさせた小松大作(井川比佐志)という青年だった。
二人は好意を抱きながらも睨み合うはめになった。 |
| 昭和44年3月~、佐藤蛾次郎NHK『開化探偵帳』にレギュラー出演。 |
<記事全文掲載>
NHKテレビの『開化探偵帳』(金曜20:00)に7日からレギュラーとして佐藤蛾次郎=写真=が登場する。
大阪弁の巡羅(巡査)熊野権三郎という役で、将来は探索(刑事)を志望。
背が低くて緊張すると早口になり、女の悲鳴を聞いて腰を抜かすといった三枚目。
大阪生まれで、二十三歳。
大阪の高石小学校時代からABC(朝日放送)児童劇団にはいり、三十六年に劇団アカデミーの所属となり、チンピラやデッチといった役が多かったそうだ。 本名は佐藤忠和。 |
| 昭和44年3月13日、原作・脚本:山田洋次の『NHK劇場・夫と妻の対話』放送。 |
◆放送:1969年3月13日。全1回。木曜21:40~22:30.◆制作・著作:NHK。◆原作・脚本:山田洋次。◆演出:深町幸男。◆おもな出演者:藤田まこと、小林千登勢、高橋悦史、稲野和子、名古屋章、金井大、浦辺粂子。
<あらすじ・1>
会社でも家庭でもさっぱりだめな男が友人の蒸発事件に巻き込まれて急にファイトを見せる姿を、 コミカルに追いながら、そうした男を暖かくつつむ妻の思いやりを描く。
<あらすじ・2>
北五郎(藤田まこと)は、会社でも家庭でも駄目で冴えないサラリーマン。ある日のこと、五郎は大学時代の友人・南(高橋悦史)に偶然出会う。 南は大会社のエリート社員で、美人の妻を持ち、金持ちの養子になっている。五郎は南と酒を飲みながら、サラリーマン生活から蒸発したいとこぼす。
南は元々陰気で気の小さい男だが、今日は酒がはいっても元気がない。翌日、五郎は妻・律子(小林千登勢)との言い争いが原因で、数日間の蒸発旅行を決心した。
その金を借りようと南に電話すると、南の妻・夏子(稲野和子)が南は昨晩から帰ってないとオロオロしている。 五郎は、自分なら兎も角、幸せ者の南が蒸発したとは信じられなかった。
<特記>
どの局も『男はつらいよ』の放映時間には力の入った裏番組をぶつけて来たが、まさか同一の脚本家によるドラマが同じ時間帯に並ぶなんて…。 しかも再放送や映画では無く、新作のドラマだ。 こんな事して問題無かったのか?小林監督の心境や如何に。 |
| 佐藤オリエ、『わが家の先生たち』、(昭和44年3月16日) |
<記事全文掲載>
我が家では最近、「先生」と呼ばれる者が2人になった。
1人は彫刻家の父、1人は医者の兄。
この2人の先生が食事をしながら話していた。
父「客が家に来る道がわからなくて 毎日御用聞きに来る店で聞いた。僕の名前ではまるでわからなかったけど、オリエの名を出したら直ぐわかったと言うんだ。これはどう言う事だ?」
兄「そう、この頃、オリエさんのお兄さんだそうですねって、ただ顔を観に来る患者がいるよ。情けないね」
2人の先生は、
「オリエさんの何とか……」と言われるのを酷く嫌がっている。
以前、父と私で、ある小説のの推薦文を頼まれた事がある。
父は倍近くの名文を書いた。 それなのに送って来た原稿料は、私の方が倍近くあった。 母が酷く憤慨していたのを思い出す。 私だって 「これはどういうことだ?」 と思っている。
映画の『若者たち』に出演してから方々の職場や組合へ話合いに出かける事が多くなり、
その都度自分の不勉強を思い知らされて戻ってくる。
大変、大変と問題を抱えて帰る私に何かと助け舟を出してくれるのは我が家の先生達。
だから何時かテレビのインタビューで、いきなり司会者に
「社会派女優といわれている佐藤さんですが……」
と切り出された時は
耳がカーッと熱くなったのもその所為なのだろう。
映画『若者はゆく』の撮影に入った今、素敵な労働者になるであろうこの作品の中の佐藤オリエと一緒に歩いて行こうと思っている。 私ごときも先生方に何時かは追いつこうと。 |
| 昭和44年3月~長山藍子インタビュー『長山藍子 ニ年半ぶりに舞台』 |
<記事全文掲載>
長山藍子が2年半ぶりに舞台に立つ。
この21日、東京・新宿の厚生年金会館小ホールで初日のあく劇団新人会公演『光はまだ遠い』(人斬り以蔵異聞)三幕で、人斬り以蔵の山本耕一と共演するわけだが、長山は
「義理、人情にしばられた武家の娘が嫌になり、町娘になって人間らしく生きようとする以蔵影響を与える、おつなの役なんです。久しぶりの舞台なので、やはり緊張します」 と言っている。 |
<写真=久しぶりの舞台で張り切る長山藍子
~東京・六本木の新人会で> |
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『光はまだ遠い』は、山内泰雄・作、八田満穂・演出の舞台劇。
話しの筋は、代々足軽の家に育ち、自分を殺すことを強いられてきた岡田以蔵(山本)が、土佐勤王党の武市半平太に拾われ、京に上り、幕臣、佐幕派を暗殺、志士達の栄誉を一身に集める。
しかし他藩の勤王派に接する内に、暴力による支配の虚しさを感じ、人間らしく生きようとする。
終幕近く『ニ条通り紙屋川の土手』の場でみせる以蔵とおつなの激しい抱擁シーンなどを織り交ぜながら土佐雁切河原の場で以蔵が
「おつな、わしはどう生きたらいいのだ」
と必死に叫びながら獄門台に消える迄を描く。
六本木の新人会では、東京公演を前に長山、山本らの熱っぽい稽古が続けられている。
長山は
「舞台で主役を演じるのは、一昨年3月の『オッペケペ』で渡辺美佐子さんと共演して以来の事なんです」
そう言えば、NHKの『旅路』TBS『肝っ玉かあさん』今井正監督の映画『橋のない川』など、テレビ、映画の出演が多かった。
4月からは『肝っ玉かあさん』の続編、フジの新番組『父ちゃんがゆく』に出演する事になっていて、映画、テレビでフル回転。
舞台育ちの長山らしくない出演状況だった。
「舞台はやっぱり最高に楽しい。おつなの存在が、人斬り以蔵の心の琴線にどうふれるか、心理描写が難しいわ。でも、テーマは現代にも通じる普遍性があるので、むしろ組みしやすいわ」
と言っている。
この舞台の為、長い髪を10センチ程つめ、幕末の町娘役になり切っている。 |
| スターの陰にマネージャーあり。 |
<抜粋>
スターはデスクで作られる。
テレビ局の午後は各プロダクションのマネージャーがチョウのように飛び回っている。 そして口からアワをまじえて喋っているマネージャーの姿は まさに凄まじい。 そして無名のタレントが一躍スターになるのだ。
渥美清・谷幹一が浅草フランス座を辞めた時のマネージャーは関敬六であった。 勿論 彼は俳優を兼ねてだが……。 彼は毎日テレビ局に日参した。 そして やおらデスクの上に立ち上がり部屋の隅々まで聞こえるような大声をあげて
「配役の時にはどうか渥美清、谷幹一、関敬六をお忘れなく」
まるで選挙演説である。 |
| 『御用金』35ミリに変更~来月26日公開繰り上げで。(昭和44年3月22日) |
<記事全文掲載>
フジテレビの劇場用映画第一作70ミリ、パナビジョン・カラー『御用金』(監督:五社英雄)は、配給会社東宝の事情から普通サイズの35ミリ映画で公開と変更になった。
これは、東宝が同映画を東宝映画『地獄変』と急遽入れかえ4月26日から日比谷・有楽座で繰り上げロードショーする事に決め、アメリカへ送って70ミリに拡大していては間に合わない為。 なお、海外公開は70ミリで輸出の予定。
『御用金』は、日本最初の70ミリパナビジョンカメラを使った撮影も終わり、22日には世田谷の東京映画スタジオでオール・ラッシュ(未編集フィルムの試写)も行なった。
東宝が突然35ミリ映画で公開する事に決めたのは、『御用金』も、東宝作品『地獄変』(監督 豊田四郎)も主演が仲代達矢、中村錦之助と同じ顔ぶれで まぎわらしい上、
「宣伝的に見て『御用金』の方が、いろいろ事件(三船敏郎と中村錦之助の交代など)があり知名度が高いので先に公開した方が得策である」 こと。
またフジテレビが同じ五社監督で劇場用映画第2作『人斬り以蔵』を大映と提携製作する事を既に発表しており、こちらも勝新太郎と仲代が共演、お盆公開が予定されていること。
また『御用金』は4月上旬の完成後、フィルムをアメリカへ送りパナビジョン方式で70ミリに拡大してもらうと まる3ヶ月かかり、ロードショーは早くて7月になってしまう事をにらみ合わせたもの。
『御用金』の繰り上げ公開で、『地獄変』の公開は秋まで延期される。 既に東宝側は、20日、フジテレビ側に繰り上げと35ミリ公開を説明、了解を得ている。
東宝宣伝部の話
35ミリのパナビジョンを70ミリに拡大プリントするのは現在のところ日本では不可能なのでアメリカへ発注する筈だったが、5~6週間かかるので35ミリにすることにした。
フジテレビ愛沢尚太郎常務取締役の話
大変残念だが、あくまでも作品の出来さえ良ければ、と70ミリを断念しました。 |
| フジテレビ『スター千一夜』で渥美清 披露宴の模様を放送。(昭和44年3月25日放送) |
<※特記複数の記事を基に構成>
▼昭和44年1月
渥美さんは、ある雑誌の連載企画『好きな女性のタイプ』に登場してインタビューを受けている。 この雑誌と渥美さんは仲が良かったそうで、理想の女性像について、かなり具体的に答えていた。
このとき意中の存在がいるのか訪ねられ
「まあネ、取材しようなんて思わないでくださいよ」
と念を押して、オフレコで特定の女性についても語っていた。
実は、渥美さんは1月にプロポーズをしており、その女性が後の渥美夫人。
▼3月9日、
渥美さんはマスコミに結婚する事を発表する。
相手は一般人で、挙式は3月22日、東京・紀尾井町のホテル・ニューオータニで行なうとのこと。
ここからマスコミの取材合戦が始まる。
渥美さんの住むアパートには、夜討ち朝がけの取材攻勢。
渥美さんは高島マネージャーの自宅に寝泊りしてマスコミ陣を避けた。
『オメデタなのだから隠れる必要も無いだろう』との声も出たようだが、そこは渥美さんの思いやりがあった。
渥美さんはインタビューでこう語っている。
「どうせこれからボクと一緒に住むようになればマスコミの方々はいろいろと訪ね、彼女を一斉に包囲する事でしょう。
この場合、ボクはタレントだし、彼女はタレントの女房だからマスコミの話題にされる事は結構です。
でも、結婚する迄の彼女は芸能界とは全く関係が無い。 ですから結婚する迄は一切彼女をマスコミの話題に載せたくない。
一日でも長くそっとして置いてやりたいんです」
そして挙式目前となり、渥美さんはマスコミの前へ出ることになった。
▼3月15日午後、
渥美さんは松竹大船撮影所に集まった約30人の報道陣を前に、婚約者を紹介した。
渥美さんは映画『でっかいでっかい野郎』の撮影中で、役柄のまま汚れた扮装で登場。 婚約者の手を握ったまま報道陣のインタビューに答えている。
「もう10年も前、知人を通じて彼女のお父さんを紹介され、茅ヶ崎のお宅に伺ったのが最初の出会い。」
「……やたら笑っていたのを覚えています。その後、1年に1度会ったり、全く会わなかったり、求婚したのは2年ほど前」
渥美さんの多忙なスケジュールの為、人並みなテートも出来ず、撮影中のスタジオに来たのもこの日が初めてとのこと。 渥美さんが結婚に踏み切った事について
「今でも1人でいられればとも思うけれど、女の子の方はそうにもいかないし、子供がいれば楽しいでしょう。それに周囲じゃ私のことをオカマだなんて言うし・・・・」
と答えている所へ、共演者の岩下志摩・長門裕之・中川加奈・川又カメラマンらが「おめでとう」と駆けつけた。 長門裕之さんは、その様子を自前の8ミリカメラで撮影している。
「明るく平凡な家庭を作ります。二人とも子供が好きですし……」 と新家庭の抱負を語ったのち、カメラマンの紹介で撮影所の芝生で撮影会になった。
▼3月17日、
渥美さんは島根県の出雲神社で挙式をあげた。
マスコミには22日と発表していただけに、これは突然の出来事だった。 だが某スポーツ紙が事前の動きをキャッチしていた。 挙式後2人は、そのまま同日午後に帰京。 高島マネージャーは、披露宴は予定通り22日に行なうと語った。
▼3月18日、
独占スクープとなった某紙が挙式を写真入りで報道。 他社は後日に記事のみで報道。
▼3月22日午後、
ホテル・ニューオータニで披露宴が行なわれた。
芸能界からは、浅草時代からの親友である谷幹一・関敬六は勿論、フランキー堺・東京ぼん太・小沢昭一・久我美子・星由里子・中村玉緒らが顔を揃えた。
▼午後2時、
2人は出雲神社での挙式の時と同じ姿で報道陣の前に現れた。
渥美さんはフラッシュを浴びる中、
「22日ここで挙式の予定だったのですが、………ご両親への気づかいもあって急に出雲であげちゃいました」 とマスコミにお詫び。
カメラマンの注文で庭に出て撮影会。晴れ着を着飾った謝恩会の女子大生の群れがあとを追い、外人客もカメラを向けた。
▼午後3時、
記者会見。 渥美さんは
「俺の嫁さんは 『この人だな』 と思ったけれど……。正直に言うと彼女のおふくろさんの感じが良かったからかも知れませんね」
渥美夫人は
「今はまだ『渥美ちゃん』と呼んでますが、慣れてきたら『あなた』と呼びます」 と答えた。
続いてフジテレビ『スター千一夜』の撮影。
この収録には谷幹一・関敬六も登場した。 渥美さんはファンに向けて結婚を報告した。
▼午後4時、
テレビ人・映画人が集まってドンチャン・パーティー。 渥美夫妻は あらためてウエディング・ケーキ・カットを披露。
▼3月23日(披露宴の翌日)、
渥美さんは、夫人に母親の看病を任せ、松竹大船撮影所の近くのホテルに1人でやって来て泊り込んだ。 映画『でっかいでっかい野郎』撮影の為で、渥美さんはサンダル履きで撮影所通いをしている。 独身時代と同じく外食・万年床の生活に戻って仕事に打ち込むとのこと。
そして4月から渥美清×小林俊一コンビの最新作が放送開始。
今度のドラマのタイトルは『父ちゃんがゆく』で、渥美さんは父親としての男を演じる。
渥美さんは 「そのうち、本物の嘘の無い親父も見せられるでしょうよ、きっと。 結婚して良かった」 としみじみ。
フジテレビは 「渥美さんの結婚は、微笑ましくてプラスになりましたね」 とコメントを出した。 |
| 勝新太郎主演で『人斬り』 フジ劇場映画第2作~仲代、裕次郎も出演。 |
<記事全文掲載>
<写真=『人斬り』の製作を発表する(左から)
橋本忍氏、勝新太郎、五社監督、
村上プロデューサー(26日、赤坂プリンス)> |
フジテレビと勝プロダクション(代表・勝新太郎)は このほど劇場用映画『人斬り』を共同製作する事になり、26日午後3時半から赤坂プリンスホテルで正式発表した。
これはフジテレビの劇場用映画第2作として製作されるもので、制作費1200万円のカラー2時間20分の作品、監督は第1作『御用金』を演出したフジテレビ五社英雄が担当、5月上旬クランクイン、8月お盆興行として大映から公開される。
この日記者会見に出席したのはフジテレビ側 愛沢尚太郎常務取締役ほか村上七郎プロデューサー、五社英雄監督、それに勝新太郎、脚本の橋本忍氏、大映 永田秀雄副社長など。
「勝君とは以前からテレビに出演する時は、まず我が社へと誘いをかけていたが、ひょんな事からABC『悪一代』(TBS系、4月開始)に持っていかれたので、我が社としては二番煎じを追うより、劇場用映画提携に踏み切った」
と まずフジテレビ村上プロデューサーが説明。
勝新太郎も
「勝プロとしては、今度で第3作になるが、大映では実現しなかったキャスティングでとにかく面白い作品という事で意見が一致」
引き受ける事になったという。
物語は幕末を舞台に急進的な革命家に雇われた『殺し屋』岡田以蔵が天衣無縫、思いのままに生きて行く話。
勝はその以蔵役で、他には武市半平太に仲代達矢、坂本竜馬に石原裕次郎が決定。
女優陣はまだ未定だが4人のうち一人は大物を起用したい意向。
これまで50本を越す映画の脚本を執筆してきた橋本氏だが、プロの殺し屋を登場させた時代劇は今度が初めて。
「娯楽作品の中にもこれまでの映画が、手を触れた事のない『自由』の思想をなんとか探ってみたい」と脚本家の立場から張り切っていた。
勝新太郎の話
正直言って勝プロの第1作『座頭市』は当たったが、第2作の『燃えつきた地図』は もうひとつ良くなかった。
そこで今度は娯楽編で挽回をと思っていた。 それに五社監督の切れ味のいい演出にも1度付き合ってみたいと思っていたし……。
五社英雄監督の話
元々ぼくは男の強さ、愚かさを描く作品が好きで、これまでいろいろとやってきたが、もう1つ伸びを欠いていたようにも思う。
今度の勝君のキャラクターや台本の良さで身の締まった作品が出来そうです。 |
| 昭和44年4月、『男はつらいよ』視聴者からの投稿記事。 |
<記事全文掲載>
▼あっけなかった寅次郎の最期
近ごろ出色のドラマだったフジテレビの『男はつらいよ』が、三月二十七日で終わったが、主人公・寅次郎のあっけない最期には不満が残る。
あれほどドラマの内容を面白くしてくれた寅次郎を、あんなにもあっけなく片付けてしまっては、熱烈なファンに対しても申し訳ないではないか。
もっと、破天荒ぶりを見せて欲しい寅次郎であった。
寅次郎を好演した渥美清と、弟・雄二郎役でいい味を出した佐藤蛾次郎を中心とした新しいドラマが望まれてならない。 |
| 昭和44年4月6日よりフジテレビにて『渥美清の父ちゃんがゆく』放送開始。 |
<放送データ>
◆放送期間:1969年4月6日~6月29日。毎週日曜20:00~20:56。制作:フジテレビ(フジテレビ第2スタジオにてVTR収録)。◆演出・プロデューサー:小林俊一。◆原案・脚本:橋田壽賀子。◆提供:マックスファクター。◆レギュラー出演者(役柄):渥美清(天道大吉)。中村玉緒(妻・小春)。中畑道子(大吉の母)。岡崎友紀(長女・夏美)。四方晴美(次女・秋穂)。秋野太作(会社の後輩)。長山藍子(飲み屋の女将)。
<あらすじ>
中堅企業の営業課長だが、主な仕事が"冠婚葬祭"と"宴会幹事"ばかりという天道大吉は、多少軽率で調子者だが善人で涙もろい男だ。ある日のこと、一念発起した大吉は20年勤務してきた会社を辞めて、七転び八起きの精神で奮闘し、やがて成功するのだが、そこに至るまでの大吉の周辺で起きた騒動を描く。
<特記>
『男はつらいよ』終了後に小林監督と渥美さんが用意した新シリーズ。 原案と脚本はNHKのドラマを終えたばかりの橋田壽賀子さんが担当。 実は橋田さんと『男はつらいよ』は無縁ではない。 『男はつらいよ』がまだ企画段階だった頃、少しだけスタッフとして参加していた。 橋田さんは「さくら」などの登場人物の名付け親にあたる。
渥美さん演じる新たな主人公・天道大吉は橋田さんの御父様をモデルにして創造されたキャラクター。 また『男はつらいよ』からのスピンオフで、長山藍子さん・秋野太作さん・佐藤蛾次郎さんらが出演する他、『おもろい夫婦』でのコンビ・中村玉緒さんが再登場。娘役には当時の人気子役・四方晴美さん(『チャコちゃん』シリーズ)を起用するなど、話題性もじゅうぶん。 他にも、後にTBSの『18歳』シリーズで見事なコメディーセンスを発揮することになる岡崎友紀さんが配役されるなど、これなら成功間違い無しだと思える。 だが残念な事にワン・クールで打ちきりになってしまった。 この影響で橋田さんは入院されたとのこと。
なんとも残念な結果で終わったが、実際、当時視聴していたファンの方からは 「面白かった」 との声を聴く。 なのに良い結果が得られなかったのは、やはり前作『男はつらいよ』 が与えたインパクトが大き過ぎたからだと思う。 当時の視聴者が見たかったのは、渥美さんの父親ぶりよりも、ハブに噛まれて死んだとされている寅次郎の消息ではないか。 もう少し時期を置いて、再放送して行けば違う評価が得られたかも知れない。
渥美清×小林俊一コンビのドラマシリーズは仕切り直しとなり、森崎東さんを招いて『スカブラ社員』を発表。ハイテンションな喜劇で成功を収め、当時を知る渥美ファンの間では伝説の作品となった。 そして『おれの義姉さん』『おかしな夫婦』とシリーズは進んで行く。 |